最近ずっと考えてることがあって、なーんでそういうふうになっちゃうんだろうなぁと
頭を抱えてしまうことがあるんですけど。。。

「レポート手書き限定」

学校教育にはなぜか「レポート手書き限定」が蔓延する傾向があると思っています。
で、僕は今までも、FacebookやTwitterなんかで
「レポートを手書きにする意味がなぜあるのか?」
なんてことを問題提起したりなんぞしてきたことがあるんですが、
そのたびに「大学の先生や大人ばかりが」レポート手書き限定に対して

  • 手書きは一回はなぞるから頭に少しでも入る(コピペ容認?手動かしてたって頭うごいてないときはうごいてないでしょう)
  • 時間をかけることに意味がある(パソコンでレポート書いたほうが時間かかるときもあると思います)
  • コピペ防止(手でコピペする学生なんていくらでもいます)

とか言ってくるわけですが、僕は正直「そもそもなぜ手書き派みたいな人たちが存在しているのかわからない」
レベルで、「レポート手書き限定」にはまっっっったく意味がないと思っています。

もうやめません?「手書き限定」

とある方が「Wordで下書きして手書きで清書してる学生を見ると、ここは本当に先進国なのかと思う」
と仰っていましたが、もういい加減、こういう下らない非効率はやめませんか?(提言)
なんで「手書き限定」って言っちゃうんですかね?何を期待してるんですか?「手書き」に。
いいじゃないですかPCで書こうが手書きで書こうが。何が違うんですか?
コピペなんて手でやってるやついっぱいいますよ。手書きコピー機としてのその作業の中で、
その学生に一体何の力がつくっていうんです??

仙台高専広瀬キャンパスには、こんな授業があります。プログラミング。

  • 設計指針(手書き限定)
  • フローチャート(手書き限定)
  • ソースコード

これを順番に作り、各資料が出来た段階で先生のところに持っていき、
「OK」をもらわないと次の段階に進むことはできない。
しかも、設計指針やフローチャートの段階でソースコードを「一文字でも」書いたら0点。
検証用コードすら書くことは許されず、
しかも「1回で通るかどうかわからない」という理由で、設計指針とフローチャートは全て「シャーペン限定」。

何がしたいんだ?この先生の考えていることがもしあるならぜひ教えて欲しい。
あろうことかプログラミングの授業でこれはさすがにありえないだろう。
何十年前の伝統を引きずってるんだ?
ていうか、「ソースコードなんていきなりは書けない」っていう現場に寄せたいのか、
それとも「手書きで苦労しとけ!」っていういわば「同じペインを払え」の世界に寄せたいのか、
まるでちぐはぐで全くわけがわからない。
だって、現場に寄せたいってんなら、手書きフローチャートなんて通用するわけがないじゃんか。
どういう理由でこんな授業やっているのか教えて欲しい。

仙台高専広瀬キャンパス某学科の学生、未だに「フローチャート定規」もって歩いてるんだぜ?
あり得なくないですか?何十年前のエンジニアの姿をなぞってるの?
そんなしょーもないことで面倒臭さと辛さだけを植え付けて
最終的にプログラミング嫌いを養成するとか、一体なにがしたいの?
日本のエンジニアリングを背負って立つみたいなこと言ってる高専が聞いて呆れるよなぁ。

なにやってんの??

教育業界って大丈夫なんだろうか

こんな「手書き限定レポート」みたいな振り切った非効率を未だに引きずり続けている
(特に理系の)教育業界を見ていると、なんか、大丈夫なんだろうか日本の教育業界は
とか思ってしまう自分がいます。特に高専は、なんとかしたほうがいいと思う。。。

(あまりにも腹に据え兼ねたので、ちょっと思い切って書きました)