最近、ずーっと頭の中をぐるぐるぐるぐる、巡っていることがあるんですよね。

教育現場、特に学校で起こるいろいろな問題って

自分も学習塾の経営者という立場で、そして塾講師という立場で、
学校というものと真っ向から向き合うような仕事をずっとし続けていますが、
その中で、学校という場所で起こる様々な問題に遭遇することがよくあります。

特に、自分で塾を回しはじめてから出会うことが多くなったのが、
教員の学生に対する「ハラスメント」。特に「アカデミックハラスメント」。
もちろん、これは断じて許されるものではなくて、
ハラスメント行為を行っている教員には、厳正な処罰が下るべきである。
と、もちろん思ってはいるわけですが。

なぜかハラスメントはなくならない

「ハラスメント」が許されないことだ、なんてことはきっと誰だってわかっているんですよね。
でも、この「ハラスメント」は、何でだかいつになっても無くならないんですよ。
いつだって、教育現場におけるハラスメントは常に一定数存在していて、
問題視をされながらも、それが教育現場から無くなることはいつになっても無い。

ハラスメントはダメ!!って声高に言うのは簡単ですが
そもそもどうして、「どこからどう見ても駄目な行為」であるハラスメントが
いつになっても無くならないのか。そんなことを考えているうちに、
教育現場のとある「構造」が原因なのではないかなと、思い始めたっていう話です。

教員は「疲弊」と隣合わせ

この前、同い年の塾経営者の友人と飯を食いながら喋っていて出た話題なんですけど、
現場の教員が常に生で授業をやって、それをずーっと続けるっていう業態は、
一見ずっと続けられそうに見えるけど、実はとあるものと常に隣り合わせだと。
それが、「教員の疲弊」なんだと。

この話は妙に印象に残ってるんですよね。
考えてみれば当たり前のことなんですよ。先生も人間。
しかも、学生たちよりも圧倒的に年長の人間。

やってみるとわかることですが、生授業ってかなり体力を消耗します。
それを一日何コマも何コマも。休むことなく1年間続ける。
さらに、その1年間が終わったら休む間もなく次の1年間。
そしてその「終わりのない授業のルーティーン」とセットなのは、多くの雑務と授業準備。
これが終わりなく続いて行く。

最初のうちはいいんですよ。熱意でまだ誤魔化しが利くから。
でも、仮に教育への熱意が全く冷めなかったとしても、年齢はどんどん増えて行くわけで…
あるとき突然、「熱意」を「疲弊」が上回る瞬間が来ます。
「俺、いつまでこれを続けるんだろうか」とか「終わりはあるんだろうか」とか
「俺はなにやってるんだろうか」とか「未来はあるんだろうか」とか
そういうことを一旦思い始めたら、突然今まで身体に蓄積した疲弊が堰を切ったように溢れ出し、
授業という名のルーティーンを続けることが言いようもない苦痛に変わったり、するのです。

誤解を恐れずにいうと、僕は実はそれに陥ったことがありました。
なんだろな。授業に忙殺される中で、あるとき突然
「授業やりたくないな」という気持ちに支配されるあの感じ。
あのモードに入ったら、授業中ずっと時計を気にするようになったりとかするんですよね。
いつ終わるかな。まだ終わんないかなみたいな。
おかしいな、教育は好きなはずなんだけどなっていう状態に「僕は」なりました。

だから今は、経営と現場での授業は半々くらいの割合に変えました。
これによって、何とかエネルギーを保持しながら続けられています。
(僕のこれによって現場のスタッフには本当に負担をかけています。感謝しかないです。)

僕はたまたま経営者っていう立場にいたから、こういうワガママな選択肢を選ぶことが出来たけど…
例えば学校の先生、だったとしたら…僕は正直、想像もできない。

そう、最近気づいた教育業界の「構造」は、まさにこれなんです。

現場の先生たちに、澱のように疲弊が溜まって行き、
かつ、それを見なかったことにして現場は進んでゆく。

これによって起こることは何か

そしてこれにより、どんどんどんどん、先生たちが「疲れて」行ったとき、
起こることってのは、いろいろあるんじゃないかなぁと思います。特に2つ。

  • 授業の質はそりゃ下がる
    まぁ、そりゃそうですよね。疲れてエネルギーを思うように発揮できなくなったら、授業の質なんて下がって行って当たり前なわけで…
  • 先生がイライラし始める
    (そうであって当然ではあるが)先生の疲弊なんて、学生たちが察するワケがないのです。教員からしてみれば、教え子可愛さを上回るイライラが募ったって、何も不思議な事はありません。

もちろんね、「だからしゃーないじゃん、先生は悪くないよ」なんて言うつもりはないですよ。
でも、先生だって人間なわけだ。教育者を「神様」扱いしちゃう人ってのは一定数いるけれど、
ゼッタイそんなことはない。こういう疲弊感だって、普通の人と同じように蓄積して行くんですよ。

ハラスメントはここから生まれるって考え方

で、僕は、この2つ目の「教員がイライラしだす」っていう教育現場の構造がまず最初にあって、
そして、そういう先生の中にかならず、一定数「学生に当たってしまう」先生が出て来る、
というのが、ハラスメントが生まれる根本原因なのではないかなとか思い始めました。

正直、わからなくもないです。気持ちは。
でも、ぐっと堪えるんですよ。普通は。
ただ、堪えきれずにわーってなっちゃう先生も。いるんでしょう。きっと。

そういう先生は未熟だと思うし、教員として駄目だとは思うけど、
ただ、気持ちはわからなくもない、っていうことだけ表明しておこうと思います。

学力低下

さらに、僕が普段向き合っている高専という学校は、
近年だと深刻な学力低下に悩まされていたりとかするんです。
そうなると、通常の授業に加えて、やれ補習だ再試験だって話になるわけです。

もっというと、不登校の子もいるでしょう。そういう子の学習サポートは?
さらに、文科省からの「アクティブラーニング」の通達。その実践は?

現場の先生の手が見事に全てに回るわけがないんですよ。神様じゃないんだからさ。
アクティブラーニングだって言って、プリント配って終わりにしたくなる気持ちもわかりますよ。
明らかに、現場の負担が大きすぎるんだ。たぶん。

我々は少人数の塾としてそのサポートをさせていただいてるけど、
外様の塾ですら、手が回らなくててんやわんやなくらい忙しいです。
なんとも、教育現場というのは、歪んだ構造を持っているなぁと日々実感しています。

現場の負担軽減

じゃあ、現場の負担軽減は?って考えたときに、
やっぱりそこで出てくるのが、映像授業なんだろうなぁと思います。

映像授業、スタディサプリの台頭によってかなり一般の方々からの敷居も低くなったと思います
これからどんどん、活用されて行くでしょう。活用されなきゃいけないと思います。
だって、映像授業は、先程述べた教育現場の
「根本構造」を解決する大きなファクターになると思うから。

具体的に言えば、映像授業って、以下のような問題を解決する力を持っています。

  • 自習用教材として
  • 不登校学生のための教材として
  • 低学力層の補習用教材として
  • 反転授業(アクティブラーニング)用教材として

これらは全て、結果として「現場の先生の負担軽減」に直結するので、
やはり「映像授業」がどれだけ今後の教育現場にとって有益な存在となりうるかは明白かと思います。
現場の先生の負担軽減は、巡り巡ってハラスメントの解消なんかにも繋がるかもしれないし。

生授業信者みたいな人は未だにいて、そういう人が文句を言ったりとかよくするけど、
最近の潮流を見ていると、多分淘汰されるのは
間違いなくそっちの人たちだなと思えるようになったので、
我々も自信を持って、そちらのフィールドで面白い事業を
ドーンと打ち出せるように頑張っていこうと思います。

そもそも、現在のメインストリームである「集団授業」は極めて中途半端な授業形態である

今の時代は、だいたい30人か40人を相手に1人の先生が喋る
「集団授業」がメインストリームですけど、
これ、よく考えればかなり中途半端な授業形態なんですよね。
生授業のよさってのは双方向性が大きいと思いますけど、
40人で双方向性って言ってもあってないようなものだと思うし、
臨場感がとかよく言うけど、映像授業だって臨場感あるからね。

双方向性を追求するのなら、それは個別指導に帰着されるはずだし、
効率を追求するのなら、それは映像授業という形態に収斂していくはず。
30人、40人の集団授業っていう形態はそもそも寺子屋が始まりなんだから、
どう考えても時代とともに変わっていかなきゃならないものであることは明白。
今はもっといろんなやりかたあるわけだからさ。スマホもあるしPCもあるんだから。

とか言うだけなら簡単なんだよね。
我々も口だけじゃなく結果を出すという形で、
教育業界の構造を少しでも良い方向に変えられるように、頑張りますです。ハイ。