「学校教育」の問題点ってのは,皆さんもご存知であろう通り挙げればキリがないわけで,
でも同時に,そこには変わるのに時間がかかる「公」教育の体質というものもあって,
いかに「民間」教育がいかにデファクト・スタンダードを作れるか?
みたいなことが最近試されているような気が,とりあえず僕はしています.

教育のアップデート

近頃は映像授業やらネット授業やら,そういう「新世代の教育」みたいなやりかたが
ようやく世間から受け入れられるようになってきて,
「教育現場がICTによって変わる」という流れがようやくになって出来始めています.

「スタディサプリ」の功績はやはり大きいんだろうなぁ.
僕の知っている学生が通う学校でも,「スタディサプリ」を利用したりしているみたい.
以下の動画なんかでも,「教員はコーチ化されていく」論が展開されていて興味深いです.

近頃どうも気になること

「新世代の教育」が力を強めていくべき!! という主張をいろんなところで見かけます.
例えばtwitterでも,Facebookでも,「教育者」を自称する方々がそういうお話をしているのをよく見かけます(僕もそのうちのひとりです).

で,近頃やたらと思うことがあったんです.何かというと,
「教育のアップデート」は「レガシーを全否定する」のとはわけが違うだろということ.

「レガシーの否定」は,「イノベーション」とは意味が違う

僕は,いろいろと変わっていくべき事柄はあると思っています.以下に例をいくつか.

  • 「ロークオリティな生授業」よりも「ハイクオリティな映像授業」のほうが役立つことが多々あるので,
    「ロークオリティな生授業」は最終的には「ハイクオリティな映像授業」に取って代わっていくべきだろう.
  • 「映像授業」を主体に勉強をして,現場の教師は,学習のマネジメントやアドバイスを中心に行う
    (俗に言う「反転授業」というやつ)という方法が効率的で,教育全体の底上げにつながって行くだろう.
  • これからは「アクティブラーニングの上手な先生」がどんどんアクティブラーニングを駆使して
    授業というものをもっとインタラクティブに変えてゆくんだろう.

こういうことは思うんだけど,同時に次のようなふうにも思っています.

  • やはり生授業を求める声は根強いので,生授業が「なくなる」必要はまったくない.
    映像授業と生授業はあくまで「共存」していくべきだと思うし,そうなっていくと思う.
  • 「非アクティブラーニング」型授業を求める声はやはり大きい.「非AL」と「AL」はやはり共存するべきだろう.
  • 「学校」という場所は僕はやっぱり必要だと思う.今でこそネット上にもコミュニティが発達していて,確かに「居場所」をネット上に作ることはできなくもないだろう.
    しかし,そういう動きをうまくできない学生はやはり多いだろうし,「ネット上のコミュニティ」がどうしても「遊び半分」な方向に偏ってしまう傾向はやはり大きいと思う.「決まったカリキュラム」を「みんなと同じようにこなす」という体験は,やはり1度はしておいたほうがいいのだと思う.なぜなら,「誰もが持っていて然るべき知識」ってやっぱりあるからだ.
  • 「学校の成績よりも大事なものがある」というのは,基本的には綺麗事でしかなくて,さらには「学校の勉強から逃げる言い訳」でしかないことが大半だと思う.「個性」や「人間性」で飯を食える人ってやっぱりすごく少数派だし,大抵の人は学校で学んだことや,学歴で飯を食っていく.「まずは学校の勉強」だと,僕は思っている.

でね,「教育は変わるべきだー!!」「今の教育なんてダメだー!!」って主張をしている人って
結構多いんですよね.特に,民間教育業に多かれ少なかれ携わっている人ってそういう傾向が強いと思うんです.

僕も「教育は変わるべきだ」と思っています.しかし,それと同時に僕は,
「今の教育はダメだから全部変えればいい」とは全く思いません.

少なくとも「教育者」を自称するのなら,「学校いらない」とか言っちゃダメでしょう

現在の教育を変えるべき!!と主張する人が,たとえば

「学校なんていらない!!」

「大学なんて行く価値はない!!」

「全部ネットでいい!!」

とか主張しちゃっているのを,僕はけっこう頻繁に見かけます.

でも,一言僕が思うことなんですが,こういう人は基本的に流行り物に全力で乗っかりたいだけ
でしかないと思っています.何でもかんでも「先人が作ったもの」を手当たり次第に否定すればいいってもんじゃない.
しかもそういう人って,塾とか家庭教師とかのバイトとかしてたりするわけね.

もし生徒とか保護者に「学校いらない!!」なんて主張が伝わったら,
一体どう思うのよ?その生徒さんと保護者さんは?

学習塾の経営をはじめて,心の底から感じたことがあるんですよ.

生徒も保護者も,結構レガシーな教育を求める.

ということです.

レガシーの安心感

自分は今,ネットを使った教育コンテンツも,生の教育コンテンツも,どちらも運営しています.
で,ネットのほうがお金かからないし,いつでもどこでも受けられるし,人気出るのかなぁとか思っていたんですが,
現実は全くの真逆で,生の教育コンテンツ(つまるところ,「従来の塾」の教育)を求められる方が,圧倒的に多いです.

結構不思議だったんですよ.あれ,新しくて便利なほうが人気になると思ってたのになって.
でも,やっぱり「レガシー」には「レガシーの安心感」があるということなのでしょう.

単に現場の教員が「自分の仕事を失いたくない」みたいな思考停止で「レガシーなやりかた」に
こだわり続けているのならば,それは良くないことだと思うので,多分変えたほうがいいんですよ.
しかし,生徒や保護者がレガシーを求めているのならば,話は別だと思いません?

やっぱり,アップデートって,ゆっくりゆっくり,世間に寄り添ってやっていくもんなんだなぁ,と心から思っています.
「どうだ,こんなに新しいぞ!斬新だぞ!」ということが,
\世間の心に響くんだろうなって思っていた時期が僕もあったけど,
お客様の頭のなかに「?」が浮かんでしまうだけじゃぁ,いくら新しくたってそこに社会的価値は生まれない.

サイバーの藤田社長も言っていましたが,

「世の中の半歩先を行くくらいがちょうどいい」

んだろうなぁと.最近僕は思うようになりました.

「社会的価値」を持つコンテンツ

コンテンツの「社会的価値」ってどうやって決まるかね?って,よく考えます.
結局,一番社会的価値があるコンテンツって,

  • 新しい(面白い)
  • たくさんの人が必要とする

という2つの条件を満たすものなんだろうなぁと思います.

新しいだけのものなんて,簡単に思いつきますよ.
でも,それが「新しくて必要とされる」ものなのか,
単なる「トンチンカン」なのかはじっくり考えなきゃいけない.

教育の変え方もそうだと思います.「とにかく何でも新しくする」ことなんて誰だってできる.
でもそうじゃないと思います.あくまで利用する人(生徒や保護者)に寄り添って,
少し先くらいから徐々に先導をできるような変え方じゃないと,それに社会的価値って多分ない.

このあたり,教育に携わっている人は多分モラルを持って主張をしていかなきゃならんかなぁって.

難しいけど,自分はこういうこと考えながらじっくりと面白くて求められるものを
作っていけたらいいなぁと,今思っているところでございます.